過去の取材記事

Foodionに虎白 店主 小泉のインタビュー記事が掲載されました。

難しく考えない。今できることをコツコツと。日々の積み重ねが革新を生む

虎白 小泉 功

 

 

■友人につられて料理専門学校に入学。最初は卵も割れなかった

高校を卒業されて、東京の調理師学校にお入りになったんですよね? 料理にはもともとご興味があったのですか?

小泉氏:
まったくありませんでした。高校時代の友人が学校見学に行くというのでついて行って、そのまま自分も入ることにしたんです。体験入学の調理実習では、卵も割れなかったんですよ。

日本料理を専攻された理由は?

小泉氏:
日本人なので、日本料理がいいかなと。最初はまったく何も考えていなかったんです。いわゆる高級店で食事をしたこともなく、味についても何も知りませんでした。ただ、技術を身につけて、それで表現をできる仕事がしたいとは思っていました。

卒業後、初めての修業先は?

小泉氏:
八重洲の割烹「おかざき」です。当時は「石かわ」開業の4年前で、石川が料理長をしていました。専門学校の担任の先生と石川がかつて同じ職場で働いたことがあり、先生の紹介で入ったんです。

修業は厳しかったですか?

小泉氏:
厳しいのはどの世界も同じですから、僕はあまりそういうふうには感じませんでした。早く技術を身につけてお刺身を切ることができるようになりたい、いろいろな食材に触れたいという気持ちのほうが大きかったですね。

お話をうかがっていますと、修業に入った時点ですでに、プロとしての姿勢が定まっていたよう感じます。専門学校時代に、日本料理の魅力を発見されたのでしょうか。

小泉氏:
「料理人として生きていくと決めたからには、あれやこれや考えるより、まずは一生懸命学ぼう」というのが学生時代の心境でした。修業に入るにあたっては、「日本料理に興味があるから、やりたい」というよりは、「自分が何かをすることで、お客さんだったり、店にかかわる方々に貢献できたらいいな」という気持ちが大きかったです。日本料理はいいなと身をもって感じるようになったのは、実際に現場に入ってからですね。今でも日々、発見ですよ。

■「おやっさん」の情熱に心動かされ、「石かわ」のオープニングメンバーに

「おかざき」時代、小泉さんにとって石川さんは頼れる兄貴のような存在だったのでしょうか。

小泉氏:
15歳も上の料理長ですからね。おやっさん(石川さん)は先輩というより、師匠です。「おかざき」の料理人はおやっさんと僕と、もうひとり。学校を出てまっさらの状態の時に、間近でおやっさんの仕事ぶりを見させていただいて、すごいなと思いました。

どのようなところがすごかったのですか?

小泉氏:
魂が熱いんです。料理に対して一切妥協をせず、情熱というんですかね、思いがすごく強い。お客さんに喜んでもらうためには絶対にここまでやり遂げるという姿勢が徹底しているんです。例えば、食材を見る目の厳しさ。今もそうですが、おやっさんは食材の状態が少しでも良くなければ、はっきりと業者さんに「これでは扱えません」と言っていました。すると、業者さんも誇りがありますから、次は店の求めているものをきちんと理解して持ってきてくれます。その時にはちゃんと「ありがとうございます。すごくお客さんが喜んでくれたので、またこういうものをお願いします」と伝える。その姿にとても良い刺激を受け、僕自身もそうしてきました。「石かわ」や「虎白」が今あるのは、その積み重ねの結果だと思っています。また、日常的に厨房に立っていると定番の食材ばかり使ってしまうこともありがちですが、おやっさんは毎日いろいろな食材を仕入れては考えたことをどんどん実践していました。型にはまらないところにも、大きな影響を受けました。

石川さんの間近でいろいろ教わったんですね。

小泉氏:
それが、おやっさんはあまり教えないんです(笑)。少なくとも、僕の時は手取り足取り教えるということはありませんでした。もちろん、聞けば、いろいろ教えてくれますが、基本的に相手に任せて、自分で考えさせる。任すというのは信頼されているということなので、求められている以上のことをやらなければいけないなという思いはありましたね。

「石かわ」の開業について、石川さんから相談を受けることはありましたか?

小泉氏:
具体的な相談はありませんでしたが、おやっさんとはいろいろなことを話していたので、休みの前の日に飲みに行って将来の夢を語り合うことはありました。「こんな店をやれば、たくさんお客さんが来てくれるんじゃないか」と料理や器、サービスについて具体的なアイデアを出し合ったり、「世界に向けて発信していきたい」と理想を描いて盛り上がったり。開業の目処もたっていないのに、「取材が来たらどうしようか。厨房第一だから、撮影に時間のかかるテレビの取材は断ろうか」なんて話も(笑)。楽しい時間でした。

「石かわ」開業後しばらくはお客さまが入らず、大変な時期もあったようですね。

小泉氏:
おやっさんは経営についての話はしませんでしたが、苦しい状況はわかっていましたから、自分にできることは何かといつも考えていました。お客さまが来てくれるようにするにはどうすればいいか話し合うために自然とミーティングが習慣化しましたし、「せっかく来ていただいたら、気持ちよく過ごしてもらわなければ」と接客のシミュレーションをふたりでしたりもしました。お客さんがまったく来ない日もありましたから、満席になった日は本当にうれしかった。あの喜びは絶対に忘れないようにしようと肝に銘じています。

■28歳で「虎白」をオープン。店のすべてに責任を負う重みを知った

「虎白」のオープンは「石かわ」開業6年目。いずれ料理長になりたいという思いは、やはりありましたか?

小泉氏:
自分でメニューを考えて表現し、お客さまに喜んでもらいたい。店を持った時にはこういう器を使って、こんな雰囲気にしたいという思いはありました。

独立をしたいとはお考えにならなかったのですか?

小泉氏:
日々の仕事に忙しくしていましたから、具体的には何も考えていませんでした。唯一意識していたのは、ひとりの料理人として自分の味を見つけていかなければということです。修業をしていると、師匠がおいしいと言ってくれる味が基準になって、自分自身がおいしいと感じているのかどうかがわからなくなりがちです。そうならないよう、石川の味を学びつつ、自分としてはどうなのかを常に考えるようにしていました。「現場のスタッフは細かいところを把握しているので、店をより良くするアイデアも出てきて当然」というのが石川の考え。新しい提案を柔軟に聞いてくれるので、自分の意見も自然に言わせてもらっていました。

メニューの提案をされたりも?

小泉氏:
「石かわ」開業時は僕の経験が浅く、石川が考えたメニューを作っていましたが、少しずつ自分でも考えて提案させてもらっていました。最初はひとつも採用されませんでしたが、次第に「いいね。これをやってみたら?」という品がいくつか出てきて、コースに入れてもらえるようになりました。

「虎白」のオープンは「石かわ」開業5年目。どのような経緯だったのですか?

小泉氏:
物件を探していた時に、お客さまからのご縁で神楽坂・毘沙門天裏の今の物件をご紹介いただきまして。神楽坂・毘沙門天裏の好立地であり、ぜひという話になったのですが、元の物件には「石かわ」発祥の地として石川にも僕にも思い入れがありました。そこで、石川から「新しい店を作ろうか。小泉くんにすべて任せるから、自由にやっていいよ」と話があったんです。

ご自身の将来について、石川さんにはご相談されたことはあったのですか?

小泉氏:
とくには話していませんが、近くで仕事をしていますから、ふだんの姿を見ていてくれたとは思います。そろそろ自分の料理をできる場所を作ってやったほうがいいと考えてくれたのかもしれないですね。

「虎白」の店長に就任されて、お気持ちの変化は?

小泉氏:
改めて石川の存在の大きさを感じました。「石かわ」ではいろいろなことを任せてもらい、自分なりに責任を持って仕事に取り組んではいました。ところが、店舗運営のすべてを自分で決断する立場になると、それまでとは責任の重さがまったく違いました。

■食べる、見る、感じる。発想の源は厨房の外に転がっている

「虎白」では、ふかひれ、トリュフ、フォアグラなど大胆な食材を使った料理もお作りになっていますね。

小泉氏:
「虎白」をオープンするにあたり、「石かわ」ともまた違う、新しい表現を追求したいと考えました。正統派の日本料理も素晴らしいけれど、日本料理の核を持ちながら、少し驚きのある料理も楽しい。そういう料理を出せば、お客さまから喜んでいただけるだろうと思ったんです。

通常は大和芋や魚のすり身などが「つなぎ」として使われる「しんじょ」に、食材によっては「つなぎ」を使わなかったり、技法も従来の日本料理にはないものを取り入れていらっしゃいますね。

小泉氏:
素材のよさを引き出すにはどうすればいいかを考えた結果、独自の技法や、洋の技法を取り入れることもありますが、奇をてらったことはしません。出汁はかつおや昆布ですし、洋の食材を使う時も、日本料理の枠組みの中でその食材を使う意味を追求します。また、当然のことですが、素材は厳しく選びます。例えば、トリュフを使うにしても、フランス料理店で出すクオリティ以上のものでないと。香りのしないトリュフをお出しして、「これならトリュフではなく、日本のお魚を出してほしい」とお客さまに思わせてしまったら、まったく意味がないと思っています。

洋の食材を取り入れるにあたっては、業者さんとの関係性の構築も重要だったでしょうね。

小泉氏:
はい。「石かわ」では洋食材は扱っていませんでしたから、イチから業者さんを開拓しました。知人の中華の料理人さんから紹介していただいたり、業者さんから情報をもらったり、たくさんの方々に協力していただきました。ありがたかったですね。

メニューは1ヶ月〜1ヶ月半ごとに変わり、同じメニューはほとんどお作りになっていません。小泉さん流の発想法は?

小泉氏:
特別なことは何もありませんが、やはり食べることでしょうか。ジャンルを問わず、中華やフレンチのお店にもよく行きます。京都にも2カ月に一度くらいは行きますね。食べ歩きをして、料理だけでなく、しつらいやおもてなしなどそれぞれのお店の表現を楽しみます。また、いいものに触れる時間を大事にしています。ギャラリーや美術館で器も見ますし、お寺を訪ねることも。伝統的な文化に触れる時間も作るようにしています。厨房の外で料理の発想を得ることも多いですよ。

■お客さま、スタッフ、業者さん。みんながハッピーでないと、幸せな空間は作れない

「虎白」は現在8年目。2015年末にはミシュラン二つ星から三つ星に昇格され、小泉さんは料理人として順風満帆に歩んでこられたように見えます。仕事に対して、常日ごろから心がけていらっしゃることはありますか?

小泉氏:
何事も難しく考えないようにしています。今できることをコツコツと。それが自然と結果につながって、新しいことができ、お客さまや、一緒に働く仲間が喜んでくれたら、それ以上のことはありません。日々の仕事にまっすぐ向き合うことが大事かなと思っています。

ミシュラン三つ星に昇格された時のお気持ちは?

小泉氏:
自分たちが日々取り組んできたことを評価していただいたというのは、もちろんとてもうれしいです。とくに、お客さまが喜んでくださったことがうれしかったですね。店で働いてくれているスタッフにとっても励みになったと思います。ただ、僕自身にとっては、何かが変わったということはありません。これまで通り、自分のできることを少しずつやっていくしかない。仮に星がついていなくても、「この店は星がついていて当然。なんでついていないんだろうね」と言っていただけるような仕事をしていくことを大切にしたいと思っています。

今後の夢を教えてください。

小泉氏:
夢というようなものではないかもしれないのですが…。僕は現在、「虎白」のほか、姉妹店の「石かわ」や「蓮」のスタッフの統括も担当しており、若いスタッフの成長を楽しみにしています。20代前半が多く、今は技術や知識をこれから吸収していく時期ですが、数年経ってみんなが力をつけた時に、新たに「これをやろう」というものが出てくるはず。その時に彼らを支えられるよう、僕自身も成長していきたいです。

「石かわ」「虎白」「蓮」のスタッフ間での交流も活発のようですね。若いスタッフのマネジメントをされるにあたって、心がけていらっしゃることは?

小泉氏:
お客さまに対する気持ちと同じです。うちで働いて良かった、うちで働くからこそ学べることがあると思ってもらえるよう体制や環境を整えていきたいです。お客さまに喜んでいただくことももちろん大事ですが、スタッフや業者さんなど店に関わる人たちがみんなハッピーでないと、幸せな空間は作れない。だから、スタッフに気持ちよく働いてもらうにはどうすればいいかをいつも考えています。

3店の間で異動もあるのですか?

小泉氏:
経験や技術、ふだんの姿勢から判断してそれぞれのスタッフの配置を決め、数年で異動する場合もあります。また、3店が地理的に近いこともあり、終業後の片付けの忙しい店に手伝いにいくなど日ごろから助け合って仕事をしています。

3店とも使う食材も違えば料理も違いますから、スタッフは多様なスタイルを学べますね。「学びたい」「いずれ店を持ちたい」という人にとっては、大変勉強になる環境だと思います。

小泉氏:
確かにそうかもしれません。また、やる気のある人には経験年数とは関係なくチャンスを与えるのが石川の教育方針。与えられた仕事をきちんとやるのは基本ですが、若い人たちが自ら考え、提案できる環境づくりも大切にしています。そのために僕たち年長者も常に新しいことに挑戦する姿勢を見せていかなければ。うかうかしていられませんね(笑)。

■日本文化の粋を集めたものが日本料理。その良さを広く伝えていけたらうれしい

「石かわ」には海外のお客さまも多いようですが、「虎白」はいかがですか。

小泉氏:
増えていますね。僕たち料理人というのはお客さんから「ありがとう」「おいしかった」と直接言っていただける幸せな仕事だと思っていまして、海外からのお客さまの反応にも改めてその喜びを感じます。海外の方々は日本の文化や伝統的な技術について細やかに見てくださっていて。「僕たち日本人が気づかなかった日本の良さを教えていただけた」と感じることも多いです。

日本人にとっては「当たり前」になっていて見過ごしている日本の良さもたくさんありますよね。

小泉氏:
はい。日本料理をやってきて強く感じるのは、日本料理というのは料理人の世界だけで成り立っているわけではないということです。かつお節ひとつでも漁師さんがいて、かつおを燻し、カビ付けをして旨みを引き出す職人さんがいて、初めて僕たちのところに業者さんが持ってきてくれる。また、料理だけでなく、器、おもてなし、しつらいなど店のまるごとすべてが日本料理を構成していて、おもてなしをするスタッフの着物にしての日本の技術がつまっています。日本文化の粋を集めたものが日本料理。そういう素晴らしいものをお客さまにお出しできることに喜びを感じますし、その良さをもっとたくさんの方々に広く伝えていけるようなことができたら、すごくうれしいなと思います。

掲載元: 一流料理人のプロフェッショナル論 Foodion(フージョン)
(聞き手:齋藤 理、文:泉 彩子、写真:刑部友康)

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