過去の取材記事

Foodionに蓮 店主 三科のインタビュー記事が掲載されました。

カウンターに立って生まれた覚悟。お客さまに喜んで頂く為に料理を作る

蓮 三科 惇

 

 

■「日本料理の世界は厳しいからやめろ」と言われ、逆に意欲を燃やした

料理人を志したのはいつごろですか?

物心ついたときから料理に興味があり、小学生になったころには「料理人になりたい」と思っていました。母が料理好きだったので、影響を受けたんでしょうね。お菓子もよく作りました。バナナや野菜を使ったパウンドケーキとか……。

子どもが作るお菓子にしてはヘルシーですね。

小学校低学年の時に腎臓病になり、高校生になるくらいまで塩分と糖分を気にしながら生活していました。おいしいかどうかというよりは、常に塩分や糖分のバランスを気にしていました。高校生まで刺激物をほとんど口にしていなかったので、自然と舌や嗅覚が敏感になったところはあると思います。料理の世界に入るまではまったく気づかなかったのですが、煮方として味つけをするときに、子どものころからの経験が生きているなと感じました。

ご病気は大変でしたが、料理人としての舌を自然と養うことができたんですね。ところで、料理の中でも日本料理の世界をお選びになったのはなぜだったのですか?

高校時代はイタリアンのシェフに憧れて、イタリアンレストランでアルバイトもしていたんです。当時はイタリア料理のブームでテレビにもイタリアンのシェフがよく登場していて、かっこいいなあと。ところが、イタリアンレストランのアルバイトでお世話になった先輩のご両親が和食をやっていて、何回か伺う機会がありましてね。その時に料理人さんの凜とした姿に憧れたんです。イタリアンやフレンチも素晴らしいけれど、日本人として生まれて日本料理を文化として伝えることができたら、大きなやりがいがあるだろうなと。そこで、先輩に相談したら「日本料理の世界は厳しいから絶対にやめろ」と言われて、逆にやってみたくなって(笑)。

高校卒業後は東京・国立の「エコール 辻」にお入りになったんですよね?

はい。東京で1年間基礎を学んだ後、大阪の辻調理専門学校に入りました。もう少し勉強したかったのと、卒業後の道について気持ちが定まらず、考える時間がほしかったんです。大阪での2年目は現場のスタイルでの実習授業でした。僕たちの学年は40人ひとクラスでふたクラスだったのですが、ひとクラスが料理を提供し、もうひとクラスが試食をするんです。これが大変でした。

煮方や焼き場、揚げ場といった持ち場を決められて3コースを作るのですが、40名分と数が多いうえに、コースごとにメニューもまったく違うんです。頭がこんがらがってしまい、いつも叱られてばかり。先生の口調も現場さながらで、鍛えられました(笑)。

■「3年辛抱しよう」と「石かわ」に。最初は毎日泣いていた

専門学校を卒業後はいよいよ修業に?

それが、最初は講師を目指そうと考えて専門学校に残り、アシスタントとして1年間働いたんです。その時にわかったのは、生徒さんが一番知りたいのは、現場の生きた知識だということ。説得力のある授業をするには、自分にも修業経験があった方がいいと考えて東京に戻り、日本料理店でアルバイトを始めたんです。実は、5年ほど働いたら、教壇に戻るつもりだったのです。

そうだったのですね。修業はどうでしたか?

若くて未熟でしたし、学生時代に運動部に所属した経験もなかったので、体育会系の雰囲気になじめなくて。自分は日本料理の世界ではやっていけないのではと悩み、お店を辞めてしまいました。その後、もう少しカジュアルなお店で働こうと就職活動をしていた時に、「神楽坂の『石かわ』という店で欠員が出たから、働いてみないか」と最初のお店の料理長さんから連絡がありました。その料理長さんとおやっさん(『石かわ』店主・石川秀樹氏)が師弟関係だったんです。

カジュアルなお店で働こうとお考えになっていたのに、「石かわ」で修業を始めたんですね。なぜでしょうか?

最初のお店は専門学校時代の恩師の紹介でしたし、お店のみなさんにもお世話になったので、不義理をして辞めたことを申し訳なく思っていました。その上、料理長さんから次の就職先の心配までしていただき、お気持ちに応えなければと。自分の中でもやっていけるかどうか不安はあったのですが、「取りあえず3年頑張ってみなさい」と料理長さんに言われ、背中を押されました。

「石かわ」での修業も厳しかったですか?

初めて頭を丸め、気持ちも新たに働きはじめましたが、意欲はあっても体力がついていかなくて。最初は叱られてばかりで、「もう辞めよう」と毎日思っていました。

それでも辞めなかったのは?

「ここで3年頑張れなければ、その先に何をやってもダメなのでは?」という使命感のようなものがあって…。そのうちに、叱られることがだんだん少なくなって、1年半ほどたったころに煮方に入らせてもらえるようになりました。すると、少し世界が変わりました。やはり自分の作ったものをお客さまに提供できるというのは楽しくて、現場で日本料理を追求したいという思いが強くなっていきました。

煮方は一般的にある程度修業を積んでようやく任されるポジション。1年半で煮方とはすごいですね。

チャンスを与えてくれたおやっさんや兄弟子の小泉さん(「虎白」店主・小泉功二氏)がすごいんです。ふたりとも人材を育てることをすごく大事にしています。手取り足取り教えたりはしませんが、若手が力を試す場を与えてくれる。場が与えられると、自分の役割を果たすにはどうすればいいのかを自然と考えるようになります。ひとつのことを教わって「はい、終わり」とはならないので、課題は次々と出てきて大変ですが、成長スピードは早くなる気がします。僕が「石かわ」に入ったころは3人しか料理人がいなかったので、おやっさんと小泉さんの仕事をつきっきりで見られたのも幸運でした。

■料理長になり考えた。師匠のようにお客さんを喜ばせるにはどうすればいいのか

煮方としてどのように修業されたのですか?

2008年に「虎白」がオープンして小泉のもとで働き、2009年に「蓮」に異動して、「石かわ」時代から7年間煮方を務めました。煮方の仕事は料理長が求める味を作ること。それができるようになってきたら、メニューの提案も聞いてもらえました。空き時間に作ってみて、「いかがですか?」と差し出すわけです。

勝率は?

採用はなかなかされませんでした。コースには全体の構成があって、バランスを崩さないように1、2品を変えるというのは難題なんです。それでも提案は快く聞いてくれましたし、いいものはコースに組み入れてもらえましたから、励みになりました。

「蓮」の料理長に就任されたのは30歳の時。それまでと仕事への向き合い方は変わりましたか?

「蓮」にはオープンした時からいましたが、裏での仕事が忙しかったので、料理長としてカウンターに出るようになって気づかされたことは多かったですね。お客さまがお帰りになる時の表情が、おやっさんや小泉さんのもとで働いていた時に見た表情とは違う気がして。料理を楽しんではくださっているのですが、喜びの度合いが少し薄いなと感じたんです。おやっさんたちのようにお客さんに喜んでいただきたい、もっと自分にできることがあるんじゃないかと思いました。

本当にお客さまが喜んだ時にどんな表情をするのかを「石かわ」や「虎白」で見ていらっしゃったから、「何かが違う」と気づけたんですね。

はい。何をどうすればいいのかはわからなかったものの、私にカウンターに出た経験がなく、お客さまとのやりとりになれていなかったので、接客に至らないところがあることは課題として感じていて。日々お客さまの様子をきちんと見ることを心がけつつ、休みの日にお寿司屋さんで食事をして店主のカウンターでの所作を観察し、会話の間や言葉づかいを学んだりもしました。

そのうちにお客さまの食事の進み具合に合わせて料理をお出ししたり、会話から料理のお好みを察したりといったことが自然とできるようになって。そのころから、お客さまをお見送りする際に「喜んでいただけてよかった」と感じられる日が増えていきましたね。

カウンター中心のお店はとくに、お客さまの反応がダイレクトに伝わりますよね。

作ったものへの反応をすぐ感じられるというのは、やはり励みになります。裏で仕事をしていた時は、「お客さまのために」とわかってはいても、ともすると自己表現に意識が傾きがちだったのですが、カウンターでお客さまの喜ぶお顔を見ると、「自分が」という気持ちがすっと消えていくような感覚がありました。口はばったいのですが、料理長としてカウンターに立つようになって、「お客さまに喜んでいただくために仕事をする」という覚悟のようなものが改めて生まれたように思います。

■お客さまは料理だけでなく、店の空間を味わうために来てくれる

私ごとですが、先日、妻の誕生日に「蓮」で食事をさせていただきました。「蓮」の料理は、けっして派手ではないですが、味や食感が強く印象に残っています。

ありがとうございます。できるだけ食材を組み合わせず、シンプルで懐かしいけれど「どこかが違うよ」と感じていただける料理を目指しているので、うれしいです。複雑な構成の料理を「これは何だろう?」と考えながら食べるのも楽しいものですが、うちの料理は真逆。ひと目で何かがわかる料理なので、考えなくていい分、リラックスして自然体で食べていただけるのではと思います。

落ち着いてくつろげるためか、年配のお客さまも多いですね。

お客さまの中心層は40代後半から60代です。僕よりも若いお客さまがいらっしゃることはめったにないです(笑)。

三科さんは現在、32歳。ミシュランで星も獲得しているお店を若くして切り盛りすることに難しさは感じませんでしたか?

年齢はあまり意識しませんでした。むしろ若いということで応援をしてくださるお客さまが多く、恵まれていると感じています。お客さまは僕よりも人生経験も豊富で、料理についてもよくご存知ですが、お出ししたものに対してその場で批評されたりはしません。ただ、こちらからうかがうと、食べてお感じになったことをおっしゃってくださることはありますし、お食事をされているときの表情から判断できます。お客さまからはたくさんのことを教えていただいていてありがたいですね。

「蓮」は三科さん以外の3人のスタッフも20代から30代前半でお若いのですが、行き届いた接客が印象的でした。

料理の質はもちろん大事なのですが、お客さまは料理だけでなく店の空間を味わいに来てくださるので、きちんとした接客というのはとても大事だと考えています。基本的なマナーは当然スタッフに教えますよ。感覚的なことは見て学ぶしかないところはありますが、コートなどのお召し物の扱い方や着せ方といったことをスタッフ同士で練習をしたりもします。

確かに、スタッフがコートをすっと上手に袖に通してくれるお店は印象が違いますよね。とても気持ちが良いです(笑)。

細部の印象が良いと、お客さまを大事に思う気持ちも伝わりやすくなると思うんです。とくに「蓮」のスタッフは男性ばかりなので、接客ががさつにならないよう気をつけています。

僕自身は、格式のある空間や接客とは何かを学ぶために少し高級な洋服屋さんに行って雰囲気を味わってみたり、高級レストランで食事をすることもあります。お客さまの目線を体感して初めて自分の店の改善すべき点に気づくこともあるので、飲食の仕事をするには、プライベートでいろいろな場を経験することも大切かなと思いますね。

■仲間と一緒にやれば、ひとりではできないこともできる

「蓮」のスタッフの採用は三科さんが担当されているのですか?

「石かわ」「虎白」「蓮」の間で異動もあるので、3店の担当者がみんなで面接をします。複数の視点で判断した方が、面接での印象と実際に働きぶりのズレも起きにくいように思います。

ズバリ、三科さんの採用基準は?

一番の判断基準は「素直さ」ですね。自我が強過ぎると人から教わるのも難しいですし、料理をお客さまにお出しする時も「自分」が先に立ってしまうんです。そうではなく、素直に料理を作ることを楽しんでいたり、「お客さまにこの料理を出して喜んでいただけるかな」と考えられると、料理のクオリティも違ってきます。

3店とも長く続けているスタッフが多く、三科さんご自身も10年以上石川さんと一緒に働いていますよね。独立を考えたことはないのですか?

おやっさんが「これまでにない日本料理の形を作りたい」といろいろなことを考えて、スタッフにも挑戦する機会を与えてくれるので、僕の場合は、独立を考える余地がありませんでした。ひとりでお店をやるのも素晴らしいことですが、仲間と一緒にやれば、ひとりではできないこともできます。

それに、おやっさんの存在はやはり大きいですね。心からみんなのことを愛していて、それがものすごく伝わってくる。厨房ではものすごく厳しいのですが、翌日には決して持ち越さないので、みんなから愛されています。おやっさんや小泉さんと一緒に働き続けたいという気持ちが僕には強いですね。

石川さんに取材をさせていただいた際に、スタッフが辞めると「申し訳ないことをした」と男泣きするとうかがいました。

情がとにかく深いんです。スタッフの仕事にも、向き、不向きがありますし、厨房の厳しい雰囲気になじめないという相談を若いスタッフから受けることもあります。そんな時は僕自身の経験を話すんです。「もともとは体育会系のノリに抵抗があったし、修業を始めたころは叱られてばかりで、いつも逃げることを考えていたよ。でも、続けることで見えてくるものがある」って。そうすると「三科さんもそんな時期があったんですね」と少しほっとしてくれるようです。

■外国の家庭の食卓に味噌汁がのぼる時代が来たら、素敵だなあと思う

最後に、今後の夢をお聞かせいただけますか?

そうですね。近い目標としては、「蓮」のお客さま一人ひとりに喜んでいただくこと。そのために何ができるかということをいつも考えています。一方で、大きな夢として、日本料理の文化を国境や時代を超えて伝えていきたいという思いはあります。日本人はさまざまな国の料理を取り入れていて、食卓に西洋料理や中華料理が並んだりするのもいまや珍しくない光景ですよね。同様に外国の食卓に味噌汁やおにぎりがのぼる時代が来たら、素敵だなあと思うんです。

草の根から日本料理のおいしさを知ってもらい、根付かせていきたい、ということでしょうか。

そうですね。ミシュランの星の影響もあって、最近は海外からのお客さまも多いので、その方たちにまず喜んでもらうことが大事だと思っています。日本料理について少しでも深くお伝えできるよう、英語の勉強も始めました。

海外からのお客さまの反応から、何かを発見されることもあるのでは?

僕たちにとっては当たり前のことも海外からのお客さまは新鮮に受け止めていらして、例えば、きゅうりの漬物の蛇腹切りひとつでも、包丁の技に感動してくれたりする。日本料理の魅力に改めて気づかされます。毎日店のカウンターに立ち、ていねいに仕事に向き合うことで、その魅力を広く伝えていけたら幸せですね。

掲載元: 一流料理人のプロフェッショナル論 Foodion(フージョン)
(聞き手:齋藤 理、文:泉 彩子、写真:刑部友康)

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